掛軸

任期や一年。新年度の改選はさながら小学校のクラス替えが如き。とすると併せてあてがわれる書記は雑用係か担任か。隠居の身にて今さら我は通さず、残りの空席で結構、と言い残して与えられるは昔でいう筆頭委員会。

会派に所属せぬ無所属には未だ敷居をまたがせぬばかりか、今年などは五年に一度の大計画の改定年とあって。各会派から投入されるは大物級もしくは期待の新人にて何故に私が。あとは読者諸賢の想像に任せるも席があるだけマシか。

さて、今年も優待券を片手に訪ねしTARO賞。若手の登竜門とされ、今年も五百を超える応募作品から。常設展など知れたもの、企画展の成否こそが全体の収益を左右するといわれる中に。こちらに関しては常設展とて。いや、むしろ、そちらの方が。何せ、その人が主役とあらばネタ尽きず。ばかりか、その魅力を伝えんとするに欠かせぬは彼ら。

「コンペイ党宣言」との題に学芸員のセンスが窺い知れ。圧倒的な存在感を以て迫りくるあの迫力はベートーヴェンの「運命」にひけとらず、と申しても芸術の受け止め方は人それぞれ。ゆえに勝手な解釈が成り立つも、それを補うに。絵は感性なれど言葉は理性。当人の真骨頂はその言葉にあり。絵好きにあらずとも彼の文章を読まば新たな境地がひらけるはずで。特に若者にはおすすめ。

もとい、本市の岡本太郎美術館の常設展。広間に通じる薄暗き廊下に見かけるは本と思しきページのコピー。小さき字で記されるは命名の由来。ある日の茶席に招かれた太郎。腰をかがめて茶室に入りて目にするは床の間の掛軸。

月か何やら丸が描かれていて、その意を説かんとする宗家に。芸術家たるもの丸をよしとせず、すべからくとんがるべし、絶対にこんぺいとうでなければならぬ、と。そんな解説だったはずで。たとえ相手が誰であろうと遠慮を見せぬところが当人らしく。

眼光鋭きはこちらもひけとらず。上野の不忍池のほとりにありしかつての邸宅に四季折々の庭が愉しめ。大観といわば酒。元々は下戸の当人が酒にハマりし発端や師匠の岡倉天心。酒が飲めずに良い絵が描けるか、と。信じちゃったんだろうな。

売れぬ当時を述懐した一文が何とも。時は戦時下、「あのときはつらかった。春草君の絵は何枚か売れたが、私の絵は一枚も売れない。絵が売れることをあてにしてきた旅先のことなので、金に余裕がなく、毎日毎日宿に帰ってきても、晩酌一つできなかった。いちばん酒が飲みたいときに飲めないのだからつらかった。ところが、夜になって部屋の一番奥の廊下に銚子が二、三本、置いてあった。次の夜も置いてある。宿屋の小女が同情して燗冷ましを熱燗にして置いていってくれたのだ。燗冷ましの熱燗だったが、あのときほど、うまい酒はなかった。五臓六腑にしみわたった。小女の姿が悲母観音に見えた。いや、悲母観音そのものだと思った。あのときほど、人の情がありがたく身にしみたことはなかった。哀れの分からない人間に、よい絵は描けないよ」と。春草とは同門の菱田春草。

(令和7年4月5日/2916回)