手袋

毎年の恒例、増える競技者。我もマキロイが如く、なんて。マスターズも閉幕、いよいよヘボゴルファーたちのシーズン到来。

元来、素手派なれど、上達に必須と聞くに一品を購入。そう、手袋。どこぞのプロ愛用、なんて文句に惑わされるほど初心者になく。が、プロともならばメーカーの協賛に使い捨ての選手も。ラウンド終了後に手袋をポイとゴミ箱に投げ入れたプロに同伴者が一言。

一般のゴルファーにあっては使い回しが常識。手袋とて大切に使うものとされ。捨てるは勝手、されど、機をわきまえよ。プロたるものは世の模範、一挙一動を見られていると心得るべし、との苦言が胸に。言ってくれる人がいるというのは恵まれたことであり。

人事異動に気になるはあの人の去就。今回は内ならぬ外の話。再就職に向けられる視線や厳しく、公表されるが常なれど対象は市の出資法人のみ。社会福祉法人、いわゆる社福などは除外とされ。

施設が求められた時代、受皿とすべく設立に市が深く関与した社福が幾つかあって。契約はほぼ随意にて荒波に晒されることなく。昨今なんぞは委託費のみならず用地の無償貸与とか一般にはありえぬ厚遇ぶりは彼らの暗躍と見る向きも。逡巡する元部下を前に、我に気にせず思うままに、というのが大人の対応のはずも。

法人の存続に欠かせぬは市からの委託料。その見返りにてやむなしとの認識が法人内にも。それでも、かつては彼らなりの負い目あってか、それなりに。が、今では、とこぼす職員。情実人事は否定せぬも今少し人選を、自らも雇われの分際で言えた義理にはないが、あとは自らの目で、と。

かつてはその分野の顔、というか職人肌で頑固者、キャラが立った連中が第二の人生をそこに見出さんと。そんな一人が。開設以来の再編整備、完成を見るまで退けぬ、というが当人なりの理由なれど、退職後、既に十余年にして未だ。

さすがに老害になりはせぬか、年度の切れ目が縁の切れ目、もしや既に、と訪ねるに。奥から聞こえるは子供たちの合唱「あの素晴らしい愛をもう一度」。突然の来訪にも丁寧に応じていただき。

こちらの用件は「彼は元気か」の五文字に全てが集約され。「相変わらずですよ、今も会議に。障害児たちと日々を過ごすは当人にとっての生き甲斐、迷惑どころか職員にとっても教わること多いですし、何よりも本人のボケ防止に」と笑って話す職員。「ならば結構、粗大ゴミとあらばいつでも回収に来るゆえ」と告げ。

しばし後に、「今、会議が終わった。寄って下さったそうだが、戻って来ぬのか」との相手に、「多忙で何より。老害になっておらぬか心配で働きぶりを見に伺ったまでのこと。ぼちぼち市の後任に譲って隠居でも」と問わば。市の後任やおらず、内部人材の昇進で十分、と。

分かれる明暗。貴殿らには年金までの「つなぎ」やもしれぬ。が、彼らにとってはまさに自らの一生を賭した職場な訳で。本来は昇進すべきその役職が市の指定席と知る彼らの心境に想いを馳せれば。偏差値は問わぬ、が、せめて職場でのふるまい位は自らの意識で何とかなりそうなものなれど。

(令和7年4月15日/2918回)