棚田
ゴルフに肩書は不要。1番ティーに立たば。そこに問われるは腕と人間性、そして、失敗の連続、世の厳しさと不条理をとくと諭され。失敗やむなし、されど、そこにつきまとうは。
あっダフりだ、とか、スライスした、とか。んなことは言われずと見ていれば誰だって。ヘッドアップが早かった、なんてのも然り。不思議と口外する「釈明」や「解説」の背景には、本来はこんなはずじゃなかった、との見栄を隠せぬ自分が。
ゴルフは別称、言い訳のスポーツと。P・G・ウッドハウス著「ゴルフ人生」にはそんなゴルファーたちの悲喜が。
そのコースやスループレーを原則とし。両者の合意あらば追い越しとて。スタート時に1時間以上の差はあったはずも前の組に追いつくは10番ホール。ゴルフバカ2人に対して、あちらや男女2人づつの4人組。
車の運転に同じ、背後にいる、というのはどことなく落ち着かぬものにて。そのへんはわきまえたつもりも「どうぞお先に」と相手。が、それはこちらも同じ、平常心を装えども「見られる」に生じる微妙な心理。
当該ホールはグリーン中央まで160ヤードのパー3、つまりは150メートルを3打で。譲られた以上は相手を待たせぬ、急ぐが常識なれど、その焦りとてミスを誘発しかねず。足早にティグランドに向かいて放つ相棒の第一打やグリーンに転がり。
そして、迎えし私の番は相棒に負けず。両者1オンのみならず、パットまで決まり、2人そろって3打で上るに後方から聞こえし大拍手。軽く手を上げ、疾風のように次ホールへ。たまたま、だったけど。
そう、深夜の駅前に見るは長蛇の列。並ぶ人数に対して圧倒的に台数足りず。運転手の不足、と申してもそれだけの客をみすみす放置するは何とも惜しく、近郊からの助っ人が見えぬ理由や未だ残りし「シマ」に他の参入を許さずとか。どこぞの関税はけしからんというけれども我々の周囲とて。
備蓄米の放出にも下がらぬ価格。需給は適正、との言い訳に。一部の買い占め、流通の悪玉論や温暖化説が跋扈するも、そもそもに「高い」か否かは。戦後の食糧難にあってコメこそが国の礎と農協を抱え込み。功は奏せど、需要を上回りし供給。作れども余るコメ、買取が逆ザヤともなれば。
従来の政策から転換を図るに補助金、とはあり得る話なれど、増反ならぬ減反の見返りとなると。いや、それとて、彼らの食い扶持を守るにやむなき措置だったかもしれぬ。が、作って稼いだはずの生活が作らずとも収入が得れるとなれば現状に惹かれる農家とて。
忍び寄る輸入米の脅威。棚田とて景観以上に生産性が高いことを意味するものに非ず。あの西海岸の広大な土地に比べれば価格競争力が劣るは明らか。いやいや、効率性は勝てずとも品質において我が国のコメに勝るものなど、なんてのも妄信に過ぎず。品種改良とて今やゲノム解析の時代、逆転も時間の問題か。
関税然り、補助金然り、あくまでも「補助」であって、本来ならば自立を模索すべきところを怠ってきた責任や小さからず。消費者とて騒ぐ前に賢くあらねば。
(令和7年5月5日/2922回)
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