気迫
寝室の天井に貼られるはアイドルの写真ならぬ。過去二十年、私のポスターを手がけて下さるTさんは齢九十まもなく。自らの力作を凝視する中に次回に向けた新たな発想を得ん、とは本人の談。まぁそこまでは結構。
が、最近、その目が動く、いや、そう「見える」とか。おい、寝言とはいえ物騒なことを申すな。迎え近き証拠にあるまいか、と投げ返すに。余命あと五年と覚悟して人生を全うせん、と本人。ならば、次こそ最後、自らの遺作と思って抜かりなきよう、とハッパを。老人は甘やかさぬに限る。
およそ月イチの頻度にて求められし面会。ボケ防止の相手にされてはかなわぬ、と言えるはそれだけの間柄であればこそ。焦らしつつも適当な早朝を選んで百円コーヒーを飲みながらしばし向こうの話を聞くだけなれど。当人の宝ともいえる手帳に綴られるは日々の予定のみならず。雑感、そして、私に伝えんとする内容がびっしり。
読むべしと手渡されるは「大観のことば」と題した本のコピー。文中に残る傍線は彼自身のものと思われ。その一つに「気迫」と題した一章があり。芸術家たるもの気迫を備えていなければならぬ、千万人といえどもわれゆかん、の心意気こそが、とかそんな内容が。そりゃ寝室の天井画も頷けて。
さて、新年度。そこまでは助走に過ぎず。大型連休も終えていよいよ。顔ぶれ改まるに測りかねる距離感。あれこれと報告を受けるにその言を信じていいものなのだろうか。それは自らの眼力に負わねばならぬと知るも。一助となりしは送別会に聞きし退職者の言。
自ら去りし後は彼のことを頼む、なんて。推挙「する」ほう「される」ほう。問われるは「する」側の信用。こちとて人が相手の稼業にて欠かせぬは人の繋がりと互いの信用。どれだけ有能であっても信用なくば。
迫る参院選。かねてから相棒が推す候補、とは知り得るも当落上との下馬評。今回が最後やもしれぬ、と繰り返すこと一度ならず、そのたびに再選を重ね。いまやTさんと然して変わらぬも年齢なれど未だ現職を。
趣旨やそこにあれども「決起」などと謳うは野暮。「勝利に向かって走る会」との命名に窺い知るは「気迫」。都内にて催されし決起大会にゴルフ帰りの相棒のみならず私まで動員されて。勝敗に勝るは人としての信用。数日後に踏み絵とばかりに届くは大量の選挙はがき。推薦人の欄に自筆にて自らの名を記入する日々も一向に終わる気配なく。
前後して届くは一通の手紙。冒頭に、不躾なる頼みごと、との一文が添えられし中身や講演の依頼。何故に私などに。推挙されし理由や地域社会において指導的立場にあるがゆえ云々、と文面に見れど、んな立派な人格者にないことは一目に分かりそうなもんで。
議員なる肩書がそこに該当するならば他に国会のセンセイもいるし、県会、市会と見渡せば、私なんぞよりもよほど「まとも」な方々が、と固辞すれど譲らぬ相手。再三の押し問答に屈するは依頼主の熱意と講演の相手。
子供たちの為に、とあらば。
(令和7年5月16日/2924回)
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