大型

久々の再会は前職時代の仲間。確か、前回は転職云々と。未だ羽振りよきは一握り、その年齢ともなれば。還暦を目前の彼を拾い上げるはあの国の。ゆえに社員もそちらが大半を占め。進出して数年、異なる商習慣に戸惑うこと少なからず、そのへんの指南を含めて、というのが採用の理由とか。

朝に道を聞かば夕べに死すとも、の国、何があっても不思議はないけれども、社に身を置くに気づかされるは彼らの働きぶり。上の命にあらずとも、兎に角、昼夜問わず、猛烈に働くのだそうで。働き方改革にノー残業なる価値観が幅を利かせる我が国と比するに想起させられるは「ゆとり教育」。気づいた時には、なんて。

いや、わが国とて「かつて」は。進学率が二割とされた時代。全体で二割とあらば女子など一割に満たず。女子にあって下手に学歴なんぞ持たば婚姻の相手が寄り付かぬ。高卒とて進学を断念するは学力ならぬ家庭の事情。進学組とて目当ては学歴なる肩書、就職に有利とばかり。採用担当が大卒男子の獲得に奔走する中に「高卒、大卒女子こそ買い」と逆張りの発想に飛躍を遂げし企業の創業者列伝を。

「自らよりも賢い者を近づける術を知りたる者、ここに眠る」との墓碑銘や鉄鋼王アンドリュー・カーネギー。人は石垣、人は城、組織に欠かせぬ人材。新任の管理職にあって寄せられる祝意以上に当人の関心は。いい人材はおらぬか、それも無名ならば尚結構、と発掘に余念なく。取り出されるメモ帳をチラ見するに窺い知れる職場の前途。

そう、便数の減少は運転手の不足、と原因を知りつつ放置するは役所の怠慢にあるまいか、との追及に対する当局の言い分や、手をこまねいているものではない、と。市バス運転手の話。足かせとなりしは「大型」の資格。

取得に要する費用や安からず、当事者の負担とされるに。そこを市が全額負担した上でその間の給与まで保証する厚遇ぶりも振るわぬ応募。昨今は運転の労こそ厭わねど、それが商用、それも人命を背負うとなると割に合わぬ、なんて。

が、需給の乖離を埋めるは見えざる手。逼迫するに給与とてそれに見合った。逆転する給与の官民格差に転職も。それもズルいヤツなんぞは、それが目当て、とばかりに資格の取得後にそのまま。結果、遅々として進まぬ採用を補うにあてがわれし現職。いや、彼らにも転職の道は開かれていたはずも留まりし理由とは。

高度成長期にあって高給が見込めるは民間。されど、こちとら所詮は高卒、出世などゆめゆめ。ならばいっそ安定した公務員にでも。そう、公務員が「でも」「しか」とされた時代とて彼らには。受験番号と氏名だけは間違えぬよう、と念を押されし記憶。

縁故である以上は紹介者の顔に泥は塗れぬ。この間を振り返るに食指が動かなかったといえばウソになるが、今にして思わば、と。下手な一見よりも彼らのほうが。塞翁が馬か。

(令和7年6月25日/2932回)