昼窓

昼休憩の合間に、と立ち寄りし窓口に貼紙。当該時間帯は「休業」とあり。その立地や明らかに、そこの需要を狙ったものではなかったか。

そう、あの当時なんぞは、世の大半が平日勤務にあって土日が休みでは手続きが出来ぬ、昼とて同じ。役人たるもの利用者の目線が全く分かっておらぬ。まさにそれこそが正義、というか時代の要請だったはず。

前掲の本にも、んな記述あり。「チーム医療」だの「働き方改革」だのは必ずしも患者側のメリットを考えて出たものではない、と。裏を返さば、「チーム医療」は主治医の不在、「働き方改革」は患者の放置、に繋がりかねず。

病床にありて不安拭うに主治医の顔に勝るものなく。それこそが彼らの見せ場であり、医者を医者たらしめる行為だったはずも、今や「勤務時間外ゆえ対応しかねる」と。いや、確かに理はそうかもしれぬ。が、本当にそれでいいのか、と著者は。多分。

先行くはそちら。患者を生徒に置き換えれば。自らを省みず教え子の為に尽くすその姿勢にこそ「彼ら」の存在意義があったはず。が、世にこんな過酷な現場があってはならぬ、と。確かにそんな側面とてなかった、とは言わぬ。けれども、その過程において自らの都合を優先し過ぎたあまり置き忘れし視点。

押し寄せる時代の波は自己都合の「改革」のみならず、学力の水準高めるに人に頼らずともAIあれば。今にして必要性を叫べども時計の針は逆には回らぬ。世の風潮に抗いて無駄を無駄といわせぬ知恵こそが。誰が決めたか、世の三大「先生」とは、医者に教育者に、忘れてならぬは政治家の「センセイ」。こちらにあってはAIのつけ入る隙なんぞ。それも過信か。

さて、投票日。争点とされし物価高への対応。給付か減税か。我が言い分こそが正当との論争も、ならばそれで物価高が終焉する、とは。そもそもに資源を他国に依存する我が国にあって不可抗力とは言いすぎか。選挙は勝たねばならぬ、その為に万人にすべからく施しを、との意図は分からんでもないが、患者、生徒、いや、市井の人に寄り添いてこそ、と支援者に聞かされる一例やこちら。

それこそが人気の証、受験者数の増がもたらすは宣伝効果、のみならず、受験料の収入やバカにならぬ収益とか。受験料とはあくまでも「受験」の対価。そこには試験問題の作成に採点等々が含まれ。そこは甘受したにせよ、入学金なるものは「入学」の対価であって、勿論、入学に際しては渋りはせぬ。が、受験の日程を見るに偏差値が高き難関校ほど後ろに控え。

とりあえず、これで浪人は免れた、と安堵するもつかの間。安からぬ入学金を指定の期日まで、と。それがどうして本命校の合否の前日が期限なんて意図的にしか。いや、本命の夢破れればそれで結構。が、本命も合格するに、そちらの入学金を支払えども前の分は返金されず。

いや、そこに席を確保してもらった以上、対価が生じるは当然。が、辞退するに生じた空白は補欠の繰り上げで埋め合わせられるのだから、何も全額を没収せずとも。本命に合格したのだからいいではないか、そんな話ではない。

(令和7年7月20日/2937回)