名門

ゴルフ場、それも名門の会員権なんてのは。たびに玄関前の芝生に転がる球を見ればむべなるかな、当人もまた「狂」の一人と察すれども晴れて仲間入りを、と。名門とあらば一見客に資格なし。紹介ならば応じて下さるやもしれぬ、が、勝手分からぬ以上、やはり同伴こそが。

そう、スコアは私と然して変わらぬはず。名門の魅力をぜひ実力とともに、などと冷やかしていたのだけれども一向にそれらしき気配なく。こんなヤツを連れ立っては自らの沽券に関わる、と思ったかは知らぬ。

んな、ある日、これをおぬしに、と手渡されるは名門にて催される選手権の特別チケット。これで敷居位は。いや、選手権などと申してもそこに目にするは。

「シニア」などと聞くと過去の人、というかどことなく「終わった」感がしないでもなく。いや、実物を見るに、これがどうして。それにしても不思議とアクの強そうな顔が多く。その意味するところや55歳以上。ってことは私も。

落胆やそこに限らず。役所発行の乗車証に見るは「特別」の文字。その優遇こそは甘んじて受けるも「高齢者」なる名称、俗に「敬老パス」などといわれるに。事実、そうに違いない。が、そう呼ばれるにどことなく劣等感が喚起されるとは地元のSさんの談。そう、単語が与える印象って。

決算審査の分科会が佳境。同じ委員会の所属ゆえ耳立つはやむなし。「行きたいところが住みたいところ」に疑義を呈したK市議の次なる標的。「氷河期」とされた世代を対象に市が催したセミナーが閑古鳥だったとか。

確かにバブルは終焉、同年人口は圧倒的に多く、就職は狭き門とされた時代。逆風だったに違いない、ばかりか、既に「シニア」となるに今後とて。が、仮にそうであっても親世代は成長期、我々の子供時代は親の庇護の下、時代の恩恵を受けたと見ることもまた。

んなセミナーはおよそ外部委託であり。恵まれぬ世代に愛の手を、といえば聞こえはいいが、そもそもに「氷河期」なる言葉自体が造語であり、何よりも優先されるは彼らの利益。そこに商機を見出してビジネスチャンスを生み出そうとの意欲こそ否定せぬも裏を返さば役所へのタカりに見えなくもなく。何よりも受講者の多寡に関係なく手にするは同一の安からぬ受託料。

施す側は支援のつもりも受け手にとってはおよそ支援に見えぬこととて。その内容やコミュニケーションスキルの向上とか自らの魅力発見とか。いや、採用に至らぬはそこに課題があるのかもしれぬ。が、それがたった数日のセミナーで補えるとは。

中にはそこを求めている人もいるやもしれぬ。されど同情よりも金銭、スキルアップよりも働き口。申込の結果が物語るはつまるところそういうことではなかろうか。外国人労働者の参入にファミレスの給仕役とて。むしろ、これからの若者世代のほうがはるかに。

(令和7年9月20日/2949回)