残業
選挙は総裁選のみならず。同期とあらば見捨てておけぬ、との要請に。
与野党相乗りの現職、ゴリアテに挑むは。羊飼いの少年、ダビデとは似ても似つかわぬ巨漢、それこそが同期の元議長であり。当時から議長の次は市長、との公言憚らず、んなことが相手に聞こえては、と苦言を呈するも当人やどこ吹く風と。
そもそもに十年座りし重鎮をはねのけて議長の座を射止めし剛の者。さりとて、党籍の剥奪にその後の包囲網すさまじく、結果や惨敗。臥薪嘗胆、市議に戻りて再起を狙う道とてあったはずも長き浪人を選びて挑みし二度目。接戦むなしく。不思議と晴れた表情にて悲壮感なく、よもや三度目など。それにしても翌朝の始発帰りはしんどかった。そう、岡山市長選。
そう、時の人が言及するは。負の側面とて否定はせぬ。が、あの成長はまぎれもなく国民がモーレツに働いたればこそ。男児たるもの育児よりも仕事に専念すべし、とは昭和の価値観。育休を取得するにも憚られる中にあって担当大臣が率先して、と風穴を開けてみたものの。真に必要とされるは。そこに手があるならばないよりはまし、働かずとも同じ給与が保証されるならば、なんて意外と。
労働は悪、との価値観は搾取されし時代の名残。長時間労働の常態化は職員削減のツケ、とは向こうの言い分なれど、かたや、現状がそれで回るならばそもそもに当時の無駄が多かっただけにあるまいか。あとは仕事の効率性の話、と与せぬばかりか、残業代こそが悪と。が、彼らの立場に立たば。家族を抱える身にあって、たとえ「超過」などといわれようとも稼がねばならぬ、そんな職員とて少なからず。
働き方改革などとさも善行を推奨しとるように見せて本心や残業代の削減こそが。許可なき残業は認めぬ、とされるに伺い立てれば難癖つけられ、仮に認められたにせよ、「現ナマ」ならぬ「振休」にて埋めよと。その行使すらままならぬうちに年度末を迎え。未消化の振休はいかほどか。「現ナマ」か「振休」か、選択権は労働者側に帰すべし、とでも申しておかば次の選挙に組合の推薦も、違うナ。
以下に記すは元管理職の証言。いや、確かに残業代が多過ぎ、との指摘は受けたよ。で、何故にそんなに残業が多いんだって彼らに聞かば、昼間は現場に忙殺されて事務的な雑務はどうしても。ならば昼の現場とは何ぞやと聞くに。一つの現場に五人で行くとか、人数合わせの如き会議への出席とか。
いや、彼らとて過去の慣例のままに。そこに疑義を抱く視点を有さなかった非はあれども、仮にそこに気づいたとはしても「あえて言う」雰囲気になく。変えることに恐怖心を有するが役人。そこを取り除いてあげれば彼らとて。そこは随分と減らしたはず、と。
退職時の役職や課長。それほどの実績を上げていながら処遇が報われぬとはわが社の人事は節穴か、と問うに。他の仕事をどんどんやってもらうに彼らの申請にはバンバン印鑑を押したから。そりゃ必要か否か、見ていれば分かるし、肝胆相照らす間柄に。全体の残業代は大して減らなかったから、と。
(令和7年10月10日/2953回)
0コメント