番犬

念願のサロマ完走を以て「我がラン人生に一片の悔いなし」のはずが。人は煩悩のカタマリ、欲に際限なく。どこぞのレースが、などと聞くに。正当化する為にアレコレと勝手な理由を付けて。

ランとは個人戦、のはずが、時に「集団」が勝る効果を、と「BORN TO RUN」に。月イチ、いや、二月に一度の部活動。年齢問わず役職問わず、市の職員らと30kmを「だらだら」と走り、銭湯、ビール、解散と、ただそれだけの。

今年のサロマをともに走りしN部長が挑んだ151kmは110.9km地点で無念のリタイア。んな極限状態というか、自らの限界を知るは生存に欠かせぬ貴重な体験。そう、100kmでは味わえぬ「恍惚」があるやもしれぬ。

そう、いつぞやに記した川の道512km。荒川を上り、その源流から逆に信濃川を下って日本海がゴール、まさに列島横断の過酷なレース。出場するにはまず半分の260kmの完走が条件とされ。ならば、その260kmは誰でも出場できるかといわれれば。それとて、出走権を得るには140km以上のレース完走を条件とするのだそうで。

100kmならぬ140kmの理由やいかに。100kmとあらば制限時間は14時間が標準、つまりは早朝にスタートすれば何とか。求められるは夜の経験、「徹夜」だそうで。ふむ、確かにゴルフとて県アマ、関東、全国と踏む手順、一足飛びなど虫のいい話は。

140kmなどと「セコい」ことはいわぬ。解禁迫る200kmにでも、と余裕見せるに。いやいや、「瞬殺」。つまりは申込の開始後、ものの数分で定員とか。で、仮にそこを完走したとしても次なる260kmとて抽選。それも高倍率の。

実力不足ならばあきらめつくやもしれぬが、運次第というのは何とも。ほんとバカ多く。私もその一人か。ゆえに、まずは徹夜の200km、の申込。そう、ランは自己責任、道端に野垂れ死のうとクマに遭遇しようと全ては自らの。ということで、ようやく本題。

番犬はあくまでも番犬、のはずが。今やペットも家族、いや、中には家族に勝る存在、と豪語する御仁もいるとかいないとか。一部の独居老人にペットが人気だそうで。孤独を紛らわせるに欠かせぬ存在。で飼う飼わぬに口は挟まぬ。

が、押し寄せる老いの波に迫られる判断。ペットか施設か。フツーならば、まずは御身、のはずが。前者こそ手放せぬ存在。ヤツのおらぬ人生など生きる価値が、心中とて厭わぬ、とばかり。

法律上、ペットは財産とされ、所有者の同意なくして勝手な処分は罪に問われかねず。同意を求めるに印鑑を押さぬ飼主。折角の善意を拒むとは恩知らず。ならば勝手に、と放置すれども。ペットが先か、老人が先か。

いづれにせよ後始末に追われるは役所なれど立ちはだかるは法の壁。狭間を埋めるに都合よき存在として浮上するは。何せペットに罪なく、手を差し伸べんとするは愛護ボランティア。が、彼らとて。

(令和7年11月5日/2958回)