訳者
市議なる肩書を有すれどもすべからく案内が届くものになく。んな時に教えて下さる支援者に恵まれ。区老連こと老人会の運動会にぜひ、と「複数」から。が、記される時間に相違あり。九時か、十時か。
待たせるよりも待つほうに、と申しても寒空の下。ましてやイベント目白押しの当日にその一時間を失うに惜しく。老人のやることゆえ、などと不遜なことは言わぬ。メール下さる几帳面な方々に限ってボケなどあろうはずが。開会式は十時、選手の集合が九時と解すれば。
そう、年々それだけの方が年齢の条件を満たしとるというに伸びぬ会員数。ばかりか、退会者とて。そこにはレッテルの拒絶、同類とされることへの抵抗、当人なりの矜持というか。在籍の年数や屈指、元役員で退会を決意したA子さん曰く、老老介護じゃあるまいに、やはり若い方々に囲まれていたほうが、と。
もはや、その年齢ともなればジェンダーとて。いえいえ、競技中にケガの多きは女性よりも男性。それもそのはず、オンナには負けられぬ、との昭和に生きた彼らの価値観こそが仇となり。ゴルフとて飛ばそうと思えば思うほどに。謙虚さ学ぶにこれほどの教材なく。
閑話休題。ガルシア・マルケス「百年の孤独」、イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」が南米の二大作にて読むべし、と多読家の義妹より。が、海外文学というのはどうも。ドストエフスキーなどと申してもあの小さな字にカタい文章。やはり権威ある文学賞なるもの、んな難解では。
いや、これが物理だ、化学だ、ともなれば業績は明らかなれど、文学とあらば。それは学生に課せられたテーマなき小論文に同じ。審査員の嗜好に負う面が。最有力と目されながらも未だ文学賞に及ばぬは多分に言語に負うところが。
自動翻訳の精度向上とて目を見張るものあれども、日常会話ならぬその領域にあっては。映画の字幕とてAIでは。やはり、とだなつ、戸田奈津子さんでなければ。
ポール・クルーグマンといえば彼もまた他分野での受賞者の一人。当人の業績もさることながら彼の名を広めるに一役買うはその人。訳文が絶妙にて、著者はそんな性格なんだろうな、と連想させるに十分。
本屋に見かけしその訳書。著者や本のタイトル以上にそちらにそそられ。同じ著者の訳を手がけし前作は失敗本。と申しても「売れなかった」本ならず、失敗のメカニズムを。そう、「失敗の科学」の著者が挑みし次なるテーマや。
スポーツの世界は能力主義、と思いたがる人は多い。成功はあくまでも才能、と自分の可能性を否定する人は多い。そんな悲観論の証拠はどこにあるのか。世に天才ともてはやされるあの偉人とて。努力か才能か、の論争に終止符を。
マシュー・サイド著「才能の科学」。そう、肝心の訳者は山形浩生さん。
(令和7年11月20日/2961回)
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