内通
八百長とは不粋。どちらが強いか以上に、いかに魅せるか、が興行の世界。プロレスファン、というかオタクのMさん、中継を見るのが趣味、と申してもプロレスならぬ国会、いや、「市議会」だそうで。カメラ向く先は質問者のはずが。
「あっ、オチそうだ、危ない」と叫べども悲しいかな声援は画面向こうに届かず、「あーあ」。いや、こちとて、オチてはおらぬ、と否定はせぬし、何も好んでオチたものになく。前夜の不摂生ならばいざ知らず、身体が欲しとるのだから抗わずとも。
いや、んな悠長なことをいえるは質問側であるがゆえ。いつ球が飛んでくるか、それが直球か変化球か、はたまた剛速球か、対岸の緊張感に比べれば。
ランの部員の一人、S課長が初舞台を飾ると聞くに助言を惜しまぬ先輩ら。が、体育会系とあらば甘からず。散々に恐怖心を煽った上で。舞台上は心理戦。動揺を見せれば追撃は必至、まずは怯まぬこと、ハッタリこそが。反論するにもまずは相手の言い分に同調しつつ頃合いを見計らって云々と。私などいないものとばかり。
図りあぐねる互いの距離感。私なんぞ近すぎて「ゆすり」というか相手にネタ迫ることもあれば、向こうから勝手にブツが届いたりも。その関係が不適切とばかり寄せられる批判。役人の軍門に下りし負け犬。んな事情は向こうとて。「役人」を「市議」に変えれば。
が、市政を動かすに敵味方あるか。彼らの中にも気づいとる連中はいる訳で。そこに待ったかけるは上司であったり、長年の慣習であったり。そこを打破せんとするに市議の力借りるはそれほど悪か。
むしろ、そこには市政の向上を図らんとする彼らなりの知恵と互いの信用があればこそ。逆を返せばそこを批判の目が向くは他人の欠点しか見れぬ御仁であったりも。そう、それが悪か否か、かつて、公の場、すなわち本市の本会議場で問われたことあり。
世の不条理にメスを入れ、弱きを助け強きをくじく、私が黄門ならば彼こそは越前。何をバカな。正義感の強き同期のM君の質問内容や職員の処分を巡るもの。当人に課せられし容疑や市議との「内通」であって、議員の質問作成に情報の横流しが罰せられるならば、貰い受けたほうとて。
職員に質問を書かせとる市議がこの中に、との発言にうつむきし人数や知らぬ。が、鬼気迫るその視線向くは私のほうだったとか。「とか」とは何事。んな時に限って。あいにくの不在。と申しても敵前逃亡ならぬ外からの呼び出しありて、以下は会議録からの抜粋。
悪は悪、との答弁に、その規約はどこに、と聞かれ、規約ならぬ信義則としてアウト、と局長。怯まぬM君、ならば上に聞くのみ、と向けられし副市長。改めて聞くが、「いや、知らぬ」と、にべもなく。
それを悪というならば昼間から公のパソコンで私のブログを読んどる局長も同罪だ、とちゃっかり自分のブログの宣伝までする抜け目なさはベテランのなせる業か。まぁ各自の思惑が交錯するのが委員会もしくは本会議であって、そのへんが見えてくると。
S課長の初舞台は無事に終わった、そうで。
(令和7年11月30日/2963回)
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