塗布

いかんせん回る軒数が軒数なだけに。滞在ほんの数分、その間の移動とて。邸内に入れるほどでも。が、路上駐車は何かと。目的やつつがなき一年の御礼、せめて相手の元気な御顔だけでも。非礼と知りつつもランの格好そのままに区内狭しと。

デキる人は服装ならぬそこに目がいく訳で。まじまじと見つめるその視線の先には。靴、ならぬ、そう、ワラーチ。

厚底よりも薄底、裸足に近きがヒト本来の機能が、介護に同じ、足とて甘やかさぬに限る、と解説するに頷く相手。御入用とあらば私が採寸から「貴殿に合いし」一足を、と。やはり彼らの関心は政治よりも健康。裏金など彼らの生活には何ら益なく。むしろワラーチのほうが。

それは開催日というよりも私の勝手な都合。年内最後か、レッスン後にふるまわれしチャイが旨かった。そう、ヨガ教室。宗教は阿片、と喝破せしカール・マルクス。信じる者は救われる、ダマされたと知って恨まれぬが本当の詐欺師。教義云々以上にプラシーボ効果のほうが。いえいえ、こちらは真剣そのもの。

両手をこすり合わせた後に手のひらを両目に当てて。眼の奥がじわーっと、その感覚を「観察」。ヘンなポーズが意味するは普段は使わぬ身体の部位への負荷。具体例でいわば、老化とともに鈍るは関節の動き。ほぐすことで得られるは可動領域の広がりとリラックス効果。

インストラクターの口癖や一に呼吸、二に観察、三に他人と比べぬこと。それってすごく大切なことで。ランとて同じ、肩で息するは身体に過度な負担がかかっている証左、ペースは上げぬ、顔はゆがまぬ、途中で声をかけられても平然と、どれだけ距離を重ねてもそこは変わらず。そう、まずは「観察」の意識づけこそ。

目に見えぬ世界など。こう見えても理系のはしくれ。あれは「たまたま」、オチずに他の委員の質疑聞くこと大半にしてそこに耳が立たぬはずなく。私と括られることをこの上なく嫌悪する彼もまた理系の出身。この技術こそが次世代の救世主、と何度聞いたか、いや、聞かされたか。

隣部屋のM団長が真顔で熱弁ふるいし新技術に、秘かに関連本を取り寄せて。化石燃料や有限なれど太陽光とあらば。さりとて、今日に及んで田畑や山林を埋め尽くすあの光景やむしろ。いや、科学者とて手をこまねいていたものにあらず。何せ「塗布」するだけで。夢の技術やペロブスカイトと。

そう、発見や基礎研究に先んずるはわが国なれど、商用化の段階で他国に、とは過去の教訓。そうならぬよう国の支援こそ、と結ばれ。そう、本命、イチオシとは研究者の主観にて信ずるが強し、なれど全体を俯瞰するに。

時代の要請や薄型軽量の太陽電池。されど、従来型のシリコン結晶の電池も軽量化が図られ、有機薄膜も変換効率が改善されて。主導権争いや熾烈。ペロブスカイトとて塗料そのものは廉価なれどその保護膜は安価ならず、というのが某専門家の見立て、でもあり。

で、肝心の疑問。それと本市の関連は何か。水素なんぞよりもその手の企業誘致を図るべし、ということらしく。

(令和7年12月5日/2964回)