時計

何も年末は「第九」に限った話になく。地元の音大生による「時計」を聴いた。そう、オール・ハイドン・プログラムと銘打たれた演奏会にて心休まる優雅なひとときを。

ヨーゼフ・ハイドンは小学校の音楽の教科書でしか。ならば、「セレナード」を。ほんの数分。それこそが彼の代名詞であり、性格を如実に。そう、ハイドン曰く、古びたピアノに向き合えば地位などどこかへ。そう、私とてゴルフクラブかワラーチさえあれば。

抜けるに抜けれぬ視察先の懇親会。終了後に残された二人。一人が新人の私ならば、もう一人や泥酔のその人であり。おぼつかぬ足下にタクシーでホテルまで。身長は私と然して変わらぬも胴回りや私の倍以上。百キロの巨漢を背負うは酷にて肩を貸してようやく部屋の前まで。「それではこれで」と別れんとするに彼が発せし一言、「これからもう一軒どうか」。腕時計や午前二時を告げ。

その後は副議長まで上りつめ、「終わった」後も隠然たる、いや、「公然と」権力を振るいし大物であり。そう、不思議とあれ以降、目をかけていただき、サシでも随分と御一緒させていただいた。自派の後輩ならばいざ知らず、他会派の若造に何をそこまで。一夜の返礼にしては過剰、よもや「改宗」など迫られやせぬか、と構えれどもその気配なく。振り返るに、んな時はおよそ私が聞き役であり、単に話し相手を探していただけだったりもして。

そう、私が議長なる役職を受諾、全う出来たのはこの御仁のおかげ、と申しても。んな役職とあらば監視下に置かれるに窮屈でかなわぬ、ゴルフクラブ、否、市議のバッチ一つあればそれ以上は望まぬ、と地位を拒む私にその意義を説き、背中を押し続けてくれた恩人であり。極めて独善的なれど広い視野を有した人だった。享年七十八。そう、あの世まで私を呼ばぬよう、と遺影を前に両手を合わせ。

さて、年内最後の定例会。議案の審査を終えた。一つに南部市場の指定管理者の更新を巡るものあり。以後は市に対して年五百万円の納付金が見込まれ。貰えるのだから何ら、と看過するは未熟。オイシイ話には必ずウラあり、と。議案とは別に示されし計画に盛り込まれる見慣れぬカタカナ。そのへんに「同じ匂いがする」とI市議。彼の直感がそう。

市労働会館の複合化を巡る一件も当初に見込まれた事業費の倍以上に。あれとて、再三にわたる私の警告を無視して邁進した結果だと。何が失敗を招いたのか。二千頁の資料を読み解いて彼が下した結論とは、特定の企業の提案を鵜呑みにしたことであり、今回とて見え隠れするコンサルの暗躍に向けられし疑念の目。

そう、そこはリスクを含んだ契約のはずが、想定外の要因により、と増額を求められるに。そう、一円入札とて原理は同じ。一度受注さえすれば後に戻れぬ、市とて当初の発注側としての責任を求められかねず。過去は「事後的」に編集されるもの、つまりは事後に都合よき解釈により正当性が作られるもの。ゆえに最初が肝心。同じ過ちを繰り返さぬ為にも。

牽制球は否定せぬ、いや、あって然るべき。が、投げていい球、悪い球。何よりも職務への没頭と自らへの陶酔が招く危険性。意図的に「クロ」に落とし込まんと。そう、彼らの捜査が如く。でも、ほんとクロかもしれぬから。

(令和7年12月15日/2966回)