市民目線

有権者への絶好のアピール機会。まだまだ身近じゃないんだなと思う瞬間。
ある小学校の水道設備の老朽化が著しくぜひ改修をと。声援に交じってそんな幾つかの陳情が寄せられた選挙戦。選挙戦の最終日に仕事を終えた運動員から預かった陳情の話を聞いた。「遊説途中にてあまり詳しく聞きとれずにスマン」と詫びる当人から大雑把な内容を伺った。
相手の名前も顔も分からぬ見ず知らずの方から「又聞き」の陳情。万が一の際には知らぬ存ぜぬで押し通すことも出来そうなもんだが、北京の蝶が如くバタフライ効果にてどこで大きなうねりになるやもしれぬし、何よりもそんな市民目線に役所とて気付かぬこともあるはず。これこそセンセイの仕事に違いないとまずは現地を訪ねた。
小田急線を跨ぐ歩道階段のバリアフリー化を求める陳情。階段に隣接して通行量が多い陸橋があるんだけどそちらには歩道はなく、歩道と車道は完全分離されていて安全性は担保されているものの、確かにキツい。当時はバリアフリーの視点も薄かっただろうし、途中で転居されてきた方かもしれぬ。何かいい方法は無いものか。
京セラの稲盛和夫氏の経営哲学の一つに「悲観的に計画し、楽観的に実行する」とあるんだけど、どんな事案でも最悪の事態を想定して陳情者に過度な期待を抱かせず、さりとて、裏では最善を尽くして結果を出す。だから私の陳情に対する返事はいつも...シブい。
市側の過失を認めつつ本人と重ねられてきた交渉。「さすがにあれは...。申し訳ありません」と誠意を尽くしてきた担当者が年度末に異動。それは単なる偶然なんだろうけど拭えぬ不信感。それまでとは手のひらを返したような対応と途絶え気味の報告に粛々と進む手続き。「これが最終的な結論であって、不服があるなら裁判で」と最後通牒が申し伝えられた。期待が幻滅に変わる時、裏切られた際の憎しみは倍増する。
税金で成り立つ役所なのだから中にはゴネ得を狙う輩がいたり、ここぞとばかりに大金を掠め取ってやろうなどという山師的な人物がいないとも限らない。が、医療過誤などと違って物損の些細な金額。そんなにモメるならいっそ私のポケットマネーで...と言いたくもなる。当事者とて金銭的には不自由していないのだからさっさと手打ちして承諾書に署名すれば余計な労力を使わずとも済みそうなもんだが、そこでゴネる、というか、それでも異議を唱えるんだから当人からすれば余程理不尽な話なんだろうナと。