白樺日誌

経験豊かな本団ともなればおよそのゲーム展開は読める、K兄がつぶやいた。最後は体力勝負なんだよナ。つまりは日々の訓練をこなす「署」が有利だと。事実、初回に6点を先取したものの、その後はゼロが続き、8回裏に1点差まで追い詰められて9回裏は逆転...を許した。どっかでみたなそんな試合。
宮城県の気仙沼消防署には東日本大震災にて殉職をされた消防士及び地元の消防団の氏名を刻んだ慰霊碑があるそうで。地元事情に詳しい消防団と消防士との連携は災害時に欠かせぬ。そんな両者がソフトボールの親睦試合を行うとの情報を掴んだ、というか支援者がそっと教えてくれたんだけど。ならば...と。
センセイでござるなどとバッチをチラつかせて闊歩しては大顰蹙を買いかねない。相手は体育会系なんだからやる気を示す(腹は別だよ)ってことが大事で、グローブにジャージを持参して...。「折角だからバット振っていきなよ」までは想定内なんだけど守備が足りぬからどうかとなどとの誘い。見ればメンバーはゴロゴロいるんだけど...。
地元神社の例大祭以来、肩に違和感があるからと固辞したつもりが守備位置レフトってのは...やっぱり憎まれてんのかナ。さすがに見せ場こそ無かったものの無難にこなして面子だけは保った。ひと仕事を終えてベンチにて休んでいれば次の試合の審判はどうかとの打診、というか命令に近い。審判は最も目立つ役回りにて票に繋がるようにとの配慮かそれとも単なる...。「票の為に」(スーツ姿で)それもこなした。
閑話休題。私などは祖父が戦没者なもんだから祖母が語る戦争体験を聞かされてきた最後の世代であって、エセ平和主義者以上に特別な想いを有しているんだけど、ぜひ一度訪ねなければと機会を狙っていた一つがこちら...。私以上に大きい体躯に朴訥とした語り口が特徴のTさんから筆舌に尽くしがたい悲惨な体験を聞かせていただいたのも数年前。とんとご無沙汰、その後に体調を崩されて施設の世話になっていると聞いたが、幸いにも訃報は未だない。元気だろうか。
60万人もの日本兵が永久凍土の地に移送され強制労働をさせられたシベリア抑留。祖国で待ちわびる家族に手紙を綴るにも紙などの上等なものはなく、白樺の皮に空き缶のペンで刻んだ書簡をまとめた「白樺日誌」。検閲が入るから不都合なことは書けず純粋に家族への想いを綴った一つ一つを読んで揺さぶられる心に止まらぬ涙。
他港が閉鎖する中でこの舞鶴港だけが最後までの帰還港となり、とりわけ抑留者の帰還を待ち望む家族が日本全国から舞鶴港に押し寄せ、息子の帰国を願って日々岸壁に立ち続ける姿をいつしか岸壁の母と呼ぶようになったとか。帰還者が祖国を実感したものは舞鶴港から見える松の緑であり、畳の匂いだったとの記述があった。