語彙力

あれから5年、今年も3.11を終えた。死して美談として語り継がれる命、余命幾ばくかの御老人と共倒れになる位ならば生きて世の為に...。未曾有の大震災を経て「まずは御身」と価値観が変わりつつあると聞いた。そりゃ確かに現実的な選択肢なんだけど「他人様の為に」という伝統的な価値観が薄らいでいくことに一抹の寂しさが。逃げるという選択肢もあった中で居残った彼らが後世に遺したものとは...。
さて、充電しっぱなしで埃を被った付属品。それは無駄な料金だとの妻からの忠告を受けてショップを訪ねた。不用心なもんだから言われるがままの契約にいざ解約の手続きを依頼すれば契約は自動更新で1年単位にて途中解約となれば安くない違約金が生じるとか。当時の契約書にはそうあると言われればそれまでで、そんなバカな話があるかっ!とゴネぬまでもどうも釈然としない。行きは良い良い帰りは...。
そんな事例はこちらも同じ。参院選の候補者の話題を目にした。世間的に知名度を有した人物が候補者として擁立される背景には党勢拡大と選挙での勝利を狙う政党とそこにどこか蔑まれる芸能人から路線転換を図りたい当人の利害が一致するんだろうけど資質は二の次だとすれば...、安易な選択のツケは高くつくもの。
そこに社会の不満があるのは否定されるものではないけれど、その一例を以て「死ね」は短絡的過ぎやしないかと。その一事象を大々的に報道する背景には随分とヘンなバイアスが働いているんだろうけど、何よりも言葉が陳腐で語彙の貧困化は深刻。「やばい」「かわいい」「まじ」「うざい」が例として示されていて、私などは「陳腐」なんてエラそうな単語で片付けてしまうのだが、そこはさすが人気の教授は違う。言葉の選び方が「省エネ」だなんて上品な言い回しで...。齊藤孝著「語彙力こそが教養である」は世の男性諸氏がモテる為に語彙力が必要と結ぶ。
新人の頃の挨拶回りの際に子供の有無を訊かれて「私は子供の居ない人物は信用していないんだ」と言われたことがあった。当時は私も「子ナシ」だったからそれは政治の資質に関係ないと思いつつもいろんな価値観の方がいるもんだナと。以来、その手の話題には注意を払っているんだけど「子アリ当然」との風潮も昨今は些か向きが変わってきた。妊娠や出産は自然の摂理にて学問等の努力でかなうものでもなく不妊治療に専念する苦悩やいかばかりか。
久々に酒井順子さんの著書「子の無い人生」を読んだ。そのコミカルタッチの軽妙な文章と当人ならでは視点に気付かされることは少なくなく、世の乙女たちの心情を上手く言い当てているのではないかと。同じ「子ナシ」でも独身であればまずは結婚に話題が向くものの、既婚となれば自ずから関心はそちらに向くだけに「既婚子ナシ」に比べれば「独身子ナシ」は...なんてのは彼女ならでは。生き物として最も根源的な務めが生殖だとすれば欠陥品が如く見なされる苦悩は筆舌に尽くしがたく、子を「授かる」ということ自体がいかに尊いことかを諭される。