裏庭

「待ちわびし青函結ぶ春の海」と詠んだ。句の巧拙以上に旬の話題性が評価されてかそれなりの点が付いた。苦節五十年の青函トンネルは地元の悲願。函館といえば地元でも評判の鮨店に向かう途中の桜並木が見事であったし、その対岸の青森県といえば弘前城の桜の評価が高い。全国を見渡せば桜の名所は数あれど加賀百万石を代表する兼六園なんぞもその維持にかけるゼニは他市の追随を許さないといわれる位だからさぞ見事かもしれぬ。ちなみに私の郷里の高田の桜っても今や日本三大「夜」桜の一つだとか。
桜は日本人の心、花を愛でながら一献。否、やはり名目は何であれ人が集まってわいわいやるというのはいいもので、恒例となるおらが高石神社の花見会への誘いがあった。さすがに年度末の吉日とあっては公務多忙にて丁重に御辞退申し上げたのだが、どうも若手の参加が少ないとかで会長の顔を立てるべく合流。
バッチなんか付けていると余計に日々の不満がこちらに向くから酒席は短いに限る。日頃は「センセイ」などと低姿勢の人物でも酒が入った途端に「おい、コノヤロー」って...やっぱりそう思われてたんだナ。注ぐ以上に注がれる瓶のラベルだけはしっかりと確認しておいたはずなんだけど、退散後はなぜかほろ酔い気分にて「ほんとノンアルでした?」とメールを送れば「バカか!」とそっけない返事。
さて、前職時代の友人、というか呑み仲間のH氏は京都出身。会社の同僚が観光の「ついで」に御実家を訪ねたそうなのだが、その見事な庭を絶賛されていたから大そうな御家柄と思しきも、そちらの出身であることを公言するに憚りがち。本人曰く確かに観光名所として名高い神社に隣接していることからその境内が裏庭に見えなくもないとか。
まぁ私のような田舎モンにはあの雑踏と狭い道、それに独特の方言「~どす」「~はる」など上方意識がどうもお高くとまってしまうのだが、最近読んだ一冊に「京都ぎらい」(井上章一著)があって嵯峨生まれの同氏によれば祇園だ西陣だの洛中以外は同じ市内でも格下扱いだとか。で、H氏の裏庭、というかその神社は中心地から「若干」離れているそうで、H氏が憚る意味がようやく分かった。
ちょうど一年前の選挙の折におらが後援会長との話題が京都の桜になった。見頃には毎年訪れるのだそうでやはり風流人は違うナと少なからず京都の桜というものに興味を抱くようにになった。さりとて、見れば宿泊先の「べらぼう」な価格、一流旅館に劣らぬビジネスホテルの料金設定もそれが需要と供給の兼ね合いによる神の手の仕業であって、その法外な料金でも満室になるのであれば負け犬の遠吠えに聞こえなくもない。