指輪

私的な席では絶対に遭遇したくない面だと思うのだけれどもいつしか御自宅に招かれるようになって以降、定例会の度に市政の課題を拝聴することになった。上に屈せず我を通した御仁ゆえ出世こそ叶わなかったけれどもそんな口やかましい人物がおらねば人は堕落する訳で...。
突然の訃報を聞いたのが、まさにあの日。散髪を終えて翌日の原稿の作成を始めたその時に届いた奥様からのメール。深夜の異変に気付いた奥様が救急車を手配した直後に不思議と意識が戻って、こんなことで呼ぶのはダメだと。長年の伴侶とあっては拒めばどういう結末になるか。翌日に洗面所で突然倒れて帰らぬ人となった。担当医によれば前夜の異変との因果関係は否定されたそうなんだけど、死因は大動脈剥離。手を合わせた遺影の前には御主人の指輪があった。
そんな同氏に最初に教わったのがこの分野。本人の努力むなしく矢尽き刀折れて藁にも縋る想いで窓口に無残な姿を晒した当事者への接遇、一方ではそちらの御世話になる以上は多少なりとも負い目があって然るべきも昨今は貰って当然、貰わにゃ損とばかりに恫喝まがいの行為もあったりするそうで。
経験を積む為にといえばカッコはいいが、生活保護は福祉六法の中でも最後の砦。そこに右も左も分からぬ新人や未経験の管理職を置くなどは言語道断と代弁した過去の質問を振り返ってみたり。ただただ故人の御冥福をお祈りするばかりだが、これでまた大事な指南役を一人失ってしまった。合掌。
さて、定例会が閉幕。当市の場合、一般質問は事前通告さえすれば全議員に機会が付与されるというのが自慢の一つらしいのだけれども猫も杓子も勝手が許されちゃうものだからおいおいそんなドブ板などここ(=本会議場)でやらずともというものまで。他都市などは会派人数に応じて発言者数や時間の制約が課せられるものだから内容も吟味に吟味を重ねた質疑がなされる訳で抑圧されてこそ知る権利の意義。
そうそう、今回の一般質問の中に中学校給食の完全実施にこれで弁当を隠して食べていた子供が救われるなんて称賛するものがあった。時にそれが当事者の劣等感の助長を招いた面もあるんだろうけど、一方では他人をいたわる情緒や弁当による親子の絆が育まれる機会を失う訳だから決して諸手を上げて喜べるものではないと思うけど。
国会では共謀罪なんて物騒な名前を付けられたテロ等準備罪法案。あれも相手方の懸念は治安維持を目的にした言論弾圧だとかその適用過程における拡大解釈にあるそうだけれども今や逮捕出来るものならやってみやがれとの挑発行為のほうが過ぎてやいまいかと。自由が過ぎれば規律が乱れるってのは今に始まった話でもなく。
拡大解釈の懸念は摘発への執念とか強権発動というよりもむしろ自らの存在意義を示す為にあえて仕事を生む可能性はなかろうかとそちらの心配をしてみたり。
(平成29年7月3日/2360回)