夏の祭典

気鋭の音楽監督を迎えて2年、すこぶる評判がいいらしく。「復活」と名の付くグスタフ・マーラーの交響曲第2番。米国の実業家がこの曲に魅せられて指揮者に転向した話は有名だが、そちらの来日公演を含む過去の演奏の中でも今回が最高だったとか。
夏の祭典、フェスタ・サマーミューザが開幕。ジョナサン・ノット指揮によるオープニングはシェーンベルグとストラヴィンスキー。川崎市議会のマエストロことKセンセイ曰く、ストラヴィンスキーの「春の祭典」はピカソの「ゲルニカ」に通ずると意味深な評。
キュビズムや青の時代を抜けてピカソが辿り着いた美術の境地が「ゲルニカ」ならば、ロシア音楽はバレエ無くして語れず、ロシアバレエ団の創始者ディアギレフが起用したのが、若き日のストラヴィンスキーであって、その新時代を告げる前衛的な作品ということらしく。まぁもっと語ってもいいんだけれどもそりゃまた別な機会に...。
門戸は開いているから相手は選らばぬまでも予想を上回る数に二手に分かれて臨んだ各種団体の予算要望。「不在のアイツは隣の会場にいるはずだ」などと抱かせるもんだから、それをいいことに一人抜け、二人抜け、と目立つ欠員。少人数な上に願意叶わず、下々の話を聞いてやる的なぞんざいな態度にパー券の負担だけ負わされては見えぬ不満が募る...否、日々是選挙のセンセイ方ゆえぞんざいな態度の表現は過ぎたが、依然として敷居が高い御役所の壁。
ある団体によれば要望を持参したところ当該局はやる意向を示してくれたものの他局が難色を示していることから実現は困難との回答がなされているそうで、難色を示している他局にもこちらの話を聞いて欲しいのだが、ツテがある訳でもなく、仮に直訴するにせよ元請けの顔を潰すことになりかねやしまいかと。
が、所管が違うなんてのは役所側の勝手な言い分であって陳情主にとってはそんなことは関係ないのだから当事者の立場で応じてあげねば世の鬱憤は募るばかり。複数の部局が絡む案件は両者を呼んで必ず同じ場で協議させねばダメだぞと教わったのは新人の頃の話、ズルいヤツらなどは「意図的に」それをやらぬ口実に利用していることもあるから何なら私が口を利くからそちらに行かれてみてはどうかと御助言申し上げた。
少し前にそれほど近しい間柄でもないAさんが私の登庁表示を見かけて部屋に立ち寄って下さったんだけれども聞けば市への要望の「ついで」だそうで、私などもちょうど暇を持て余していたもんだから御一緒するよと当該局を訪ねれば全員起立の直立不動で...。
帰り際にAさんが教えて下さったのだけれども例年であれば女人禁制の土俵が如く部外者を寄せ付けぬ雰囲気に通路で一番手前の担当に事情を説明しておよそ代理に受理いただくのが慣例だったそうで、その豹変ぶりに驚きを隠せぬ様子。本来それではいかんのだけれども私にもまだ多少の賞味期限が残されているようで...。
(平成29年7月27日/2366回)