遠隔

そりゃ与えられた権利なのだから堂々と行使して何ら後ろ指さされるようなもんではないはずも気になる周囲の視線。公私境なく有休なんて概念すらないのは給料ならぬ報酬で禄を食んでいる賜物か。勝手にのれんを下ろしちゃえばそうなる訳で曜日を選ばぬのがせめてもの。大型連休なんていってもあの大渋滞に割高な料金を請求されては気も失せる、ならば、と思い立ったはいいけれど、家族すらも連れて行かんのに一人だけなんてのは...。
父は既に他界した身なれど大正生まれの祖母が健在にて様子を見て来るなどと適当な理由を付けて家を出た。いや、適当などと申してもその齢になればどこかしらに歪が生じる訳で既に用具なくば自力では歩行困難な状態にて施設の世話になっているんだけど昨年末に不意に転倒して顔面殴打、別人が如く...などと受話器向こうの母の話を聞けば気にならぬものでもなく。まぁ昨今などは老人介護施設に限らず園児施設や小学校にカメラを置いてくれれば遠隔といえども、と求める保護者がいるとかいないとか。動物園ぢゃあるまいに。
さて、途上国といえども急速に広がるスマホ社会。世界人口80億人の大半が「繋がる」社会が目前。「繋がる」ことで誰もが必要な情報を入手し、自ら発信する時代。それを「第五の権力」と称しているんだけど、前掲の著に描かれる近未来図。夢物語と疑うなかれ、既に教育の分野などでは一流の講師による授業が「無償」で提供されとる訳で塾すらも画面と向き合うとか。いつでもどこでも誰もが最高の授業を受けれる中において生徒が教室で全員一緒に学ぶべきこと、教師が果たすべき役割、学校の意義とは。
それに限らぬと反論を試みても好むと好まざるとに関わらず押し寄せる時代の波。一方では硬貨の表裏が如く「繋がる」ことで迫りくる脅威。どれだけ巧妙に改ざんを重ねようにも履歴残るITの世界では隠せぬ過去の不都合。そりゃ役所に限らず個人も同じ、上の一存で携帯が盗聴器に変貌する監視時代の到来に位置情報や操作履歴すら当人の意志とは無関係につまびらかに「なる」というか「なってしまう」訳で。今やそれ抜きには社会を語れず今後も然り。想像を掻き立てられるというよりも鋭い洞察に深く考えさせられる珠玉の一冊、とりわけ為政者には。
そうそう、肝心な旅の目的。転倒のあざこそ残らぬものの突然の面会に鳩が豆鉄砲をくらったようにキョトンと。私の顔を見てしばし思案した後に弟の名を呼ぶとは認知症や恐るべし。それでも話せば気づくのだからまだましか。ひと昔前であれば医療と介護は非なるものにて医療の範疇にあらずと断られた訳でどれほど制度に救われているか。
対価を支払っているとは申せ、その程度の利用者負担で本来であれば家族が担うべき役割を負っていただいているのだから礼は尽くさねばならず。そんな機会に垣間見る介護の現実。日々枕高く寝られるのも彼らのおかげであって餅は餅屋に限る。何も出来ぬ親不幸を恥じつつ、祖母との会話も手短に何よりも気分よく職務に従事いただけるよう職員の労をねぎらって帰途についた。やはりメールでは意は伝わらぬ。
(平成30年5月10日/2428回)