山伏

一般のロードならぬオフロードの山野を駆け抜けるレースにて登山が如く上がりきって視界が開ける達成感、新緑に囲まれつつ走る爽快感の魅力に駆られて申し込んだ久々のトレイル。
調整つかず前泊を断念した翌朝の起床は午前3時。眠い目をこすりつつ一路向かう目的地は山梨県道志村。朝7時の号砲に制限時間は10時間、つまりは夕刻5時迄にゴールを目指す。距離は44キロ。肉離れの後遺症かふくらはぎに若干の違和感を覚えつつも仕上がりはほぼ万全。フルマラソンの完走タイムを5時間前後とすれば楽勝とはいわぬまでもさすがに制限時間内にはとの目論見に...。途中関門の制限時間に間に合わず初めての途中棄権。平坦なロードであればまだ十分な余力残るもほんと過酷なレースだった。
横軸に距離、縦軸に標高が記される比高図によれば累積標高、つまりはコースの上りのみを単純に足した累計は2千m以上。そのへんも知りつつ挑戦したんだけど相次ぐ誤算。誤算の一つは距離。44キロってのはあくまでも平面距離であって長方形の対角線が如く距離は間延びする訳で単純に正方形ならば約1.4倍。倍とはいわぬまでもそれ近くの距離を走らねばならず。が、距離の長さは慣れているから何とかなるんだけど、いかんせん坂というよりも「急」坂。
スキー場の最難易度コースが如く見下ろして躊躇するような坂が時々ならばまだしもそれが大半とあっては走るよりも歩いた距離長く。無謀にも直滑降で降り始めればぬかるみに足を滑らせてそのまま数m。道の脇のロープを目にしたのは転倒後にてどろんこまみれの状態でゴールを目指す。山伏峠なんて名が残る位だから地元にとってはまさに神宿る霊峰。樹齢百年以上の古木に不自然な大岩など目にすれば神々の裏庭に見えなくもなく、そんなコースを走れるとは何とも贅沢な機会。最高峰の山頂の祠に手を合わせて御当地の安寧を願った。
横浜市の水源とは存じ上げていたものの豊かな自然に恵まれた御当地の水に渇いた喉が潤され、棄権者用のバスに揺られて着いたゴールで食べた地元の御婦人方による特製うどんが抜群に旨かった。ほんとボランティアの方々も親切でまさに村ぐるみの歓迎ぶり。やはり未知の領域に挑戦するってのはいい刺激になるとともに、勝って得るもの以上に負けて得るもの多く。落胆もつかの間、早速に帰路の本屋でその手の本を立ち読み、脚力さえあれば何とかなるとの認識は甘過ぎたことに気付かされる。さすがにそのまま帰る訳に参らぬと手にした一冊。
「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」を意味する方言なんだけど、避難生活を余儀なくされる「までいの村」の方々を訪ねたのが数年前。ほんと温かく迎えて下さってね。村の一部を除いて帰宅困難区域の避難指示の解除からこの四月でちょうど一年。そこに至るまでの市長の苦悩と挑戦が綴られている『「までいの村」に帰ろう』(菅野典雄著)を妙味深く拝読させていただいた。
うちの事務所に御礼の手紙とともに写真が飾られていて。随分と色褪せてきたんだけどみんな元気かなと。
(平成30年5月15日/2429回)