支柱
今年も福島の菱沼農園さんから桃の案内が届いた。たよりに知る旬の季節。名産地の親戚から前日に届いたのだそうで、久々に訪ねたKさん宅にて裾分けいただいた桃が抜群に旨かった。
さて、往年のバンカラ伝説が残るSセンセイが政治を志した契機は阪神淡路大震災。二輪車隊を編成し、救援物資を積んで徹夜の疾走。被災地の惨状を目の当たりに心が動かされたと聞いた。物見遊山との批判、労こそ厭わぬも慣れぬ人工はかえって足手まとい、被災地の御負担になりかねぬか等々。この年齢になるとそんな煩悩?に阻まれてためらいがちな行動。現地とまではいかぬまでも西日本豪雨災害の義援金活動を終えた。灼熱の炎天下はさすがに堪えたものの予想以上に多くの善意が寄せられて被災地への惻隠の情や関心の高さが窺い知れた。
募金の際にかけて下さる声に民意を知ることが出来るんだけど、その中に被災地でのボランティア活動を一部戒める御意見があった。当事者の善意こそ否定されるものではないが、やれ何が足りぬと相手の手を煩わせるのは自助の欠如であって、災害に限らず「されてあたりまえ」の風潮は成長を阻害しかねず、自助の意識を育まねばならぬと。そう、サミュエル・スマイルズの「自助論」によれば...との解説はやぶさかではないのだけれども今回の主人公は別な御仁。まぁそのへんは読んだというよりも「見た」に近いかもしれんけど。
働き方改革関連法案が可決されたと聞いた。悪法との批判一辺倒の野党に改革の成果と宣伝する与党。その対立のみが注目されて伝わらぬ制度の中身。可決後においても関心薄い理由をアレコレと思案してみるのだけれども他国に比べ牧歌的な雇用関係が残るわが国において厳格な運用は関係を損ねかねず、両者の命運は制度云々以上に「情」に負う面が大きいように思えてならず。
労働者と資本家の対立は今に始まったものでもなく、搾取する側とされる側、ブルジョワとプロレタリアートの対立。階級闘争こそが社会の歴史と喝破したのがこの御仁。死して尚、隠然たる勢力を維持し続ける背景には理論も然ることながら当人の人間的魅力もありそうで。何故に当人がそこに到ったか、その時代をいかに生きたか等々、人の深淵に迫ることは生きる上で多くの示唆を与えてくれる。あちらの勢力の理論的支柱、かの共産党宣言の立役者を描いた映画を見る機会に恵まれた。
表に平等を唱えつつも内なる組織にはどこよりも厳しい階級が残る体制こそがそもそもにヘンではないかと純粋に思うのだけれども著書に従えば階級闘争はあくまでも過渡期に過ぎず、その先に描かれる理想郷。その詰めの一手が腑に落ちぬことが今の位置に踏みとどまっている理由の一つなんだけれどもそりゃあくまでも私の勝手な解釈で...。
ただ、どこの組織とて同じ、権威と威光を笠に幅を利かせた古株が旧態然と支配する組織に翻される叛旗。そこに挑んだ若きマルクスが権力闘争において掴んだ勝利は若さの特権。辿り着いた境地こそ違えども世を憂う気概は他に劣らず。この夏は歴史的大著「資本論」にでも挑んでみようかと。字が小さすぎて...ムリかも。
(平成30年7月20日/2442回)
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