花韮

それに連なる目的語は単に「運」というよりも「何か得体の知れぬもの」ってことなんだろうけど。そう、新語流行語から今やすっかり若者用語として定着した「もってる」。んなことを聞いては淑女の皆様に大変失礼と知りつつ聞かれる年齢...いや、過去の戦績。ウグイスに限らず不思議と幸運の現場に居合わせる人物ってのはいるもので「もしやあの人は...」。それが福の神ならば回りに害なく平穏なれど逆はどうか。移籍後のチーム低迷、コーチ交代後の不振、何かに原因求めたくなる気は分からんでもないけど。
七名の現職に挑むは無名の新人一名のみ。相手少なければ有利なんてのは幻想にすぎず、逆に多いほど選択肢増えるゆえ一定の固定客を有する現職が必然的に有利。党の公認市議は現職二人、少数混戦とあらば上がる当落線に分かれた明暗。当選に及ばぬ向こうに対して方や最上位とあっては向けられる冷やかな視線。「獲りすぎ」と申されても相手が減らしてこちらが伸ばさば狼藉者の批判を甘受するも、ともに伸ばしてこちらの微増に対して向こうが純増だからね。「たまたま」の首位に「かろうじて」大台に手が届いたってだけの話なんだけど状況が状況だけに余計に疎ましく見えたりもして。
それだけ余裕あらば百か二百でも回せばの恨み節。そりゃ予め結果が見えておればやぶさかならぬもやはり勝負事ゆえ己の後援会のゴルフコンペで自ら優勝する位の...それはおらがセンセイ。万事つつがなく天祐に恵まれただけなのだけれども諸手挙げて喜べぬ理由がそこにある。んな時こそ当人の性根が見えるもんで直前まで「貴殿の区は共に楽勝だね」などと言ってた輩に限って豹変して「とりすぎ」論に同調したりも。それこそまさに人の機微読めぬさもしい面々なのだけれども敗戦にこそ教わること少なくない。
万歳の翌朝に駅立たば冷たい雨降る中、既に立つはやはり次点に泣いた新人の県議候補。許し得て隣に立つも表情難しく冷たい雨が逆に救いだったかも。隣同士では握手求めて来る相手もどことなく複雑な面持ちに見えなくもなく。何も候補者のみならず支援者とて心境は同じ。言葉に悩む相手に気を遣わせぬ器量備わば次に繋がる訳で...。閑話休題。
統一地方選と参院選が重なるは亥年。亥年は十二年に一度なれどこちらは生涯一度の慶事。幸か不幸か子の卒業式が重なった。勿論、行けぬ、というか行くつもりもないのだけれども支援者から聞きし一言「姉妹が如く」。そりゃあくまでも後姿を評しただけの話なんだけれども世辞を真に受ける妻。「前歩く背並ぶ親子卒業式」と詠んだ句を投じれば、選んで下さったK香さんが「背の丈の親に並ぶや卒業式」でどうかと。確かに上五の「前歩く」は逡巡せしも後姿の為に...そのへんが俳句の魅力な訳で。
迫る次回の句会は吟行。つまりは即興というか予めの兼題なく当日気のままに。ちゃんと手帳には記しておいたもののやんごとなき急用にて欠席を詫び。ひと足早く庭散策の上、「派生せし花韮祝ふ得票数」と詠んだ。
(平成31年4月15日/2493回)