身銭

豪州大陸が発見されるまでは旧世界の住人は白鳥を白いと信じて疑わなかったとか。辛辣な批評がウリの著者は「ブラック・スワン」以来のちょっとした贔屓。原題こそ見過ごしてしまったものの最新刊の題名はズバリ「身銭を切れ」。本中に多数決ならぬ「少」数決原理なるものがあった。こんな御時世とあらば少数といえど声がデカいヤツが...なんて。

客席の間引こそやむなしも勘定場の透明幕に受銭皿はどうも落ち着かず。天下の回りもの、人の手を介すは不衛生、たった百円ぽっちの買物で、といわれればそうかもしれんが、大事な銭の受け渡し位は謝辞を示したいもの。客が拒まばまだしも拒まぬ客に店が拒むは...。老舗百貨店の営業再開とて「翔んで埼玉」の隠れ埼玉県人を割り出す監視カメラぢゃあるまいに、客を並ばせて線量計で測るは...。私ならば二度と来ぬと憤慨しそうなもんなれどやはり大枚はたく御大尽様とあらばそれっぽっちのことでは腹立てんのかもナ。

患者数の少なさは検査数の制限が原因、少なく見せたい陰謀だ。との声を受けてか本市でも医師会に委託して検査の拡大を図ると。こと大型連休あたりからゼロも目立つだけに。いや、あればあったでないよりマシ、従来よりそこを担っていただいた医療機関には検査の負担が減れば受入に専念が出来るとも。

あくまでも氷山の一角、そんなに少ないはずはない、との「当時」の風潮に担当が奔走してようやく整いし体制も薄れる切迫感。時間要するに特段の怠慢なかったはずも。やった以上は、などとヘンな気が起きぬことを祈るばかり。そう、あのマスクとて「当時」であれば...。タイムラグ、というか時間差とは厄介なもの也。

閑話休題。巻頭のグラビア「日本の顔」が話題の人物とあらば買わぬ理由なく。文藝春秋の今月号に名門私立の校長先生の寄稿を見かけた。休校に対する独自の教育論を述べておられるのだけれども現行の批判しか出来ぬ教育評論家とは比較にならぬ。「オンライン」とて知識の会得は可能なれど机並べし隣の生徒から学ぶこと「も」少なくなく。優越感や劣等感、友情に恋愛こそ人を成長させる原動力。蛍雪の功が実を結ぶには温室じゃあダメなんだよナ。

一人一台端末の実現を年度内に前倒し、と今回の緊急経済対策に見かけた。国を挙げて推進されるGIGAスクール構想。従来の予算額に上乗せすれば確かに景気刺激の効果はあるんだろうけど、今回などは行きたくとも行けぬ。人との接触を断たれた状況下においていかに学習指導要領の目標に到達させるか、遠隔授業へのニーズとて少なからずも全ての家庭が適応しているとは限らず。前倒しと申しても当初の構想には「遠隔」含まれておらず、「後出し」の必要性こそ否定せぬもそれを狙いし火事場泥棒とて居らぬとは限らず。

カタカナ踊る現場に「教育が経済の奴隷になっているように思えてならぬ」と警鐘鳴らす校長先生。そう、休校を機に今一度、本質を見直してみては...と申しても再開まで秒読み。校庭に子供たちの笑顔と元気な声が戻る日々が待ち遠しい。

(令和2年5月20日/2571回)