縄文
封鎖か制限か、いづれにせよ来ぬで結構とあらば行かぬだけ。売り手市場の彼女たちの次なる候補地は本市自慢の多摩川とか。降り注ぐ陽光の下、日焼け愉しむ水着美女が河川敷に出没、「求めず」と前席の運転手に聞いた。川こそ境、対岸の東京都側ってのは些か腑に落ちぬも往復三十数キロとあらば射程圏内。およそ物事の動機は不純なもの也。
さて、開閉に混乱招いた昨年の教訓を踏まえて下水ゲートの対応を終えた、との報告を受けた。進む台風への備え。通勤時に車窓から見える対岸の土嚢などは本市の本工事に匹敵する規模感を有するものでそれが暫定とは財源の格差を如実に物語る一例と、確かにそれに近きことを副議長の口から聞いた。
通勤時とて注意怠らぬ意識の高さこそ見上げたものなれど、こちら側の沿線道路は堤防よりも一段低く対岸など見えぬはず。尚且つ、公共工事の土嚢の優劣に被害の大小が左右されるとあっては放っておけぬ。そもそもにそこで折り返すとは不純が過ぎる、ならば少し先の橋を渡って本市側を復路に選べば一挙両得、バカか。
対岸に目立つ堤防の復旧。二子玉川周辺に残る爪痕。確かにそこならば二子橋に向けて沿道が顔を出すだけに対岸を見渡せる、言わんとするはここだナ。復旧を目指すはグランドも同じ、草刈りに汗流すボランティアを眼下に走る堤防上のコース。未舗装が目立つ対岸に比べて本市のほうが格段に走りやすく。水着の美女が選びしは対岸なれどランナー選ぶはやはり...向こう側だったりもして。
外敵への備え、といえどあれだけのものを民に作らせるは歴史に悪名刻む暴君か、後世の憂い除きし名君か。万里の長城築きしは始皇帝なれど全土統一前の話。秦の国門「函谷関」の常軌を逸する城壁の高さに恐れ慄く連合軍、のシーンで放映中断。
群雄割拠、合従連衡の由来となりし春秋戦国時代を描いた漫画「キングダム」。あれは漫画だから描けるのであって実写版など語るに足りぬと見下していたのだけれどもこれがどうして。昨年の興行収入が第一位、続編の決定が話題になるのも頷ける。CG効果か往年のカンフー映画も顔負けの映像に見入ってしまった。
縄文時代にあれだけの文化とは信じがたい、と妻。いや、確かに紀元前の話なれど、それ即ち「縄文」時代との認識は...。縄文ならぬ弥生時代、とは申せ弥生時代は数世紀。登呂遺跡は紀元「後」一世紀の頃だからそこから三百年も前にあれだけ栄えるとは侮れぬ。一字千金で有名な呂氏春秋の編纂もこの頃にて。
かのサミュエル・ハンチントン氏の分析に従えばそもそもに文明の生い立ちが違えど少なからぬ影響を受けたのは事実。それを盲従せずに咀嚼して進化させてきたところこそ我が国の叡智な訳で。他に比類なき言語文化を育む端緒となりし万葉仮名はその一つ。「比佐加多能」が一例。
どことなく抱く親近感とて武力弾圧や領海侵犯の免罪符とはなりえず。捏造か隠蔽か、コロナ発祥を巡る両国の応酬に深まる対立。発信主のみならず報道側の恣意的な偏向も絡み。情報操作の可能性がない、とは「双方」言いきれず。混迷の世界情勢の行方やいかに。
(令和2年6月5日/2574回)
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